天草郡牛深町生まれ大阪育ち。たまに帰る牛深のことを綴ります。 ニックネームの「いちまる」は、昔父親が乗っていた船の名前です。

2019年04月14日

数ヶ月

父親が亡くなってから、数ヶ月が経ちました。
まだ、実感がないですね。

父、母とも牛深出身で、先祖代々漁師ですね。
母方は、元々深海だそうですが・・・。

父親は、25歳まで牛深で漁師をしていて、母と結婚後に大阪に出て暮らし始めました。

小学生の頃、父親の会社にたまに遊びに行っていました。

ある日、会社の階段の踊り場で、父の大きな声が聞こえてきました。

「かかってこい!」と、同僚?部下?上司?会社の人に蹴りを入れているのが見えました。

父は、元牛深の漁師ということもあるのか?かなり気の荒い性格でしたから・・・・。

仕事も負けず嫌いなところもあり、小さな会社でしたが製造部長という役職を与えられ、部下200人ほどいましたね。

僕が中学生のころになると、会社を退職し、自営を始めたのですが、うまく行かず、それからは苦労の連続でした。

父親が定年を迎え、その後すぐに母親が亡くなったのですが、それから牛深で暮らすようになりました。

15年ほど前の写真です。蔵元から牛深に帰るフェリーで撮影。
数ヶ月

まだ落ち着かないでいますが、ボチボチと日常を取り戻していっています。






Posted by いちまる  at 14:42 │Comments(2)

この記事へのコメント
世の習いとはいえ お寂しくなられましたね、
お気持、お察しします
最後は牛深で 帰っての生活がすることができて
感謝なさって おられたかもしれませんね、
  ご冥福を お祈り申し上げます
Posted by 波場印 at 2019年04月14日 16:23
波場印さん

コメントありがとうございます。
あと10年は長生きするだろうと思っていたのですが・・・。

父の様子がおかしくなったのは、親戚のおじさん、おばさんが次々に亡くなってからで、「俺が死んだら...」という言葉が多くなっていました。

私の管理も十分でなかったのも原因ですね。

家族葬で、看板も出さなかったので、先月、牛深に帰って、隣近所にご挨拶しました。

それと、年賀状をいただいた方達へ連絡したぐらいですね。

父が定年退職してから、毎日3回、約15~16年ぐらい安否確認のため、電話をしていました。

一人でトイレやお風呂で倒れていないか?
それが心配でしたね。

最期は、一人で孤独死せずに、病院で手当てを受け、僕もずっと付き添っていたのでよかったと思います。
Posted by いちまるいちまる at 2019年04月14日 16:45
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